はまな調息堂

はまな調息堂ウェブログ:日々の堂主

調息整体指導室/はまな調息堂の堂主が、
からだを整えるということや日々の活動について
考えたことを綴ります

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世の中は日本刀ブームだそうで、なんでも「刀剣乱舞」だかいう日本刀を擬人化したブラウザゲームがその火付け役で、鑑賞セミナーなどに多くの女性が殺到しているんだとか??
確かにわが阿倍野区松崎町の調息堂の近くにあるコンビニ数件にも日本刀関連の書籍や雑誌を見ることが多くなった。

調息堂主人も小学校の頃から高校卒業まで、小さい体格とヘタレの為にまったく強くはなかったものの剣道をたしなみ、膝を傷めて出来なくなった今でも別の形で刀や武の世界に関わっていて、それが整体の世界に飛び込むきっかけの一つにもなっている。

ある知人がそういう「武」に縁のあり続ける人は、「血が呼ぶのだ」と言っていた。
血が呼ぶ、つまり両親どちらかの先祖が武家の人が多いのだという。
統計をちゃんととったわけではないのだけど自分の周りの「武」に関わり続けている友人数人に聞いたところ、やっぱり両親どちらかの先祖が武家の人が多かったので、そういうもんなのかな??と、信じてみることにしている。(そういうもんだとカッコいいし・・・)

かく言うぼくの先祖も父方が武家だ。
大分遡ったところで本家から別れ、父親も次男で家をでているし、母方は農家の家なので薄い血ではあるものの、遠州浜松では有名な逸話に関わった人の子孫らしい。

らしいというのは、明治の廃仏毀釈で村(現、浜松市平松町)の寺が焼き討ちにあい預けていた家系図が焼けたのと、蔵に泥棒が入ったり戦時中の供出で具足類をとられたりしたために、ほとんど証拠が残ってないからである。(その蔵つきの家も折からの不況で土地ごと売りに出され、今では新しい家が建ってしまっている。)

昔、父に聞いた時もどういう人なのか名前すら良くわかってなく、その手がかりも父が小さい頃から聞かされていた、

「家の先祖は悪いお姫様を斬った人だ」
三五郎様と呼ばれていたらしい。」

という言い伝え??だけで、我が家では長い間の謎だった。
それがネット時代の凄さで、暇だった次姉がちょっとグーグルさんに尋ねてみたところ、あっさり特定できてしまった。

野中三五郎重政

この人がうちの先祖(らしい人)である。

遠江国、藤原北家の血をひく豪族である中安氏の出身で、徳川家康の家臣として三方ヶ原の合戦に従軍、そこで武功を挙げ注目された武人として優秀な人であった。
そしてその合戦の6年後、彼は日本刀剣史においても日本史においても有名な事件の主要人物として関わることとなる。

築山殿暗殺事件

天正7年8月29日(1579年9月19日)に正妻で今川家の娘である築山殿を家康公の命により騙して連れ出し、遠江国小藪村で自害させた事件。
その首謀者の一人で介錯人を務めたのが野中重政であり、この時、介錯に使われたのがあの「村正」で、村正が妖刀と言い伝えられることになる由縁の一つとなった。

殺害時に38歳だった築山殿からは「七代まで祟ってやる」と言われ、命じた家康公からは「馬鹿正直に殺さなくとも他の仕様があったろうに」となじられ、主君勤めに嫌気がさした彼は故郷の堀口村(恐らく現平松町)に隠遁することになるのだが、
子孫に聾唖の姫が生まれたり、浜松城に怪異が度々起きたことから、築山殿の遺体が埋葬されている浜松市中区広沢の西来院に供養塔を建てて毎年祭りを執り行い慰霊に努めたとされる。

この築山殿、悪い妻女としての話が流布されていたのだが、近年の調査によると家康公との夫婦仲も良く、ただ公の保身の為暗殺したことを正当化するために後世にそういう伝説を作られ広められてしまったらしい。

そんな築山殿があまりにも切なくて、開業前に一族のお墓参りに連れていってもらった折に、西来院の御霊廟、「月窟廟」にも参りお詫びをさせていただいた。
(ちょっと不思議なのは、築山殿が殺害された8月29日はぼくの母の誕生日である。旧暦になおすと9月19日なので違うのだが、偶然にしては・・・)

妖刀「村正」の伝説を作った先祖を持つ呪われた一族という金田一幸助に調べ回されそうな一族の末裔であり、さらに母方の祖父は平松町の隣、白州町の神社である鹿島さん(!!)の神官をやっていた、それがぼくの「血」である。
(小さい頃から家康公のことがなぜか嫌いだったのも、この血のせいかもしれない。)

そりゃ刀や武の世界から逃げられませんわな~と感心してしまった。

ただ本身の刀のことに関しては不勉強もいいところなので、この刀剣ブームにのっかって嗜みの範囲で勉強しておくのもいいかなぁ??とも考えているのだが、ブームに乗っかるというのがなにか悔しい気もしているのである。

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調息堂開業の一年前、阿倍野区松崎町にまだ移住していなかった頃の10月、チェンマイに語学留学されていた関西CS研究会の顧問、福島先生の御自宅に10日間程ホームステイさせていただいたことがある。

本当は北タイのストリートチルドレンを保護する活動をしているアーサー・パッタナー・デック財団に先生が10年以上関わっておられる縁でそこの活動に参加させていただくはずだったのが、日程の関係からほとんどチェンマイ観光になった。

日本とは違う華やかできらびやかな仏教寺院、アジアの様々な文化が混沌のようにいりまじった市場やナイトバザール、現地の料理(北タイ料理)・・・・・
どれも驚きの連続で、一日中、いや、寝ている間も異文化のシャワーを浴び続け、7日目頃から風邪を引いてしまった。

日本は過ごしやすい秋になったのにまた高温多湿の地域に飛び込んだのも原因の一つなので、早朝に帰国して数時間眠ったら一気に経過したのだが、それから数日間は鼻をかむとドロッとした鼻血がドバドバ出る日が続いた

どうも神経系統が極度に緊張をしていたらしい。

福島先生には地元の人達の生活を感じたいとお願いしていたので、食事は先生の借りている家の大家さんのお手伝いさんの手料理か現地の人が通う食堂で、せっかくだから日本では食べられないものを頼むよう心がけていた。

面白いことが起きたのは、チェンマイ大学の東側にある現地の人が行くクイッティオ(麺料理のこと)屋さんでスープが真っ赤な色をしたクイッティオを食べた時だ。

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そのどうみても怪しい色したクイッティオが運ばれてくると頭は好奇心いっぱいでワクワクしているのだが妙に息が苦しく、確かめてたら水落がカチカチに固まりお腹に息が入らない状態になっていた。

まずはスープを蓮華で掬い口に含んで味を確かめようとしたら、さらにどんどん水落が固くなるのが分かる。
口に含んでみると意外に普通のあっさり塩味で辛くも無く(そもそも北タイ料理は辛くない。)、日本人好みの味で拍子抜けし安心もしたのだが、やっぱり水落が緩まない。変な汗さえ出てくる。。。

なんのこっちゃない、意識が安全なものだと納得しても、自分の経験では想像すらできない料理に本能がずっと警戒し続けたのだ。
恐らく、どうみても紫蘇ジュースにしか見えない見た目なのにあっさり塩味というギャップも警戒が解けなかった理由ではないか???食材が想像できないのである。

味が美味しかったので完食はできたのだけど、そこから半日ぐらいやっぱり水落が緩まずフラフラしていた。体のほうも吸収して良いのか??体に毒じゃないのか??おっかなびっくり消化してたんだと思う。
(以前、在日の方にいただいた韓国料理で見た事もない食材が出てきても平気だったのは、その方がどういうものか解説してくださったからかもしれない。)

帰国後、タイに詳しい先輩にその料理の話を聞いたところ、豚の血を出汁に使うスープがあってそれじゃないか??ということだった。

なるほど!!!!!と心身ともにそこで初めて安心できたのだけど、整体的に本当に面白い体験だった。

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大阪は松崎町界隈も春から新緑の季節へと移り変わり、昼間はムシムシとするようになってきた。
わが調息堂の六畳の指導室は幸いなことに程よい日当たりと風通しが良いので、そんな日でも窓を開けていると柔らかな薫風が入ってとても過ごしやすく、患者さんが途切れた時には柱にもたれかかってぼんやりとしている。

調息整体ではいわゆる治療のことを指導と言う。

「指導=指で導く」

癒す、治す、のではなく、文字通り指で処(=鍼灸で言うツボ)を刺激して受け手の体を受け手の体が望む方向に「導いて」いく。

その処、メインとなるものが総計194個、加えて特殊な処がいくつかでだいたい220個前後、鍼灸の経穴が830穴ぐらいなのでその4分の1しか使わない。

しかし野口系の整体には
「どこがどうなっていたらどこが悪い」
「どこをどう押さえたらどこが変化する。」
といった体を調整するための理論が膨大な量で存在する

少ない処でこの膨大な理論に対応していくので、必然的に一つの処が多様な意味をもつことになり、一つの処を押さえることで様々な場所が変化をしていく様な押さえ方の技術を要求される。
もちろん、初学者にはそんな押さえ方など出来るわけがないので、それぞれの処に決められた「押さえ方の型」を使って、整体で要求される押さえ方の原則を学んでいく。

また、そんな処の性質上、一回の操法において効果が相殺されないよう使う処の数をできるだけ少なくする必要が出てくる。
その為には受け手の状態をどこまで正確に把握できるかが鍵になり、椎骨や観察点の状態が何を表しその組み合わせが何を意味するかを知っておかなければならず、膨大な理論を深く学び知っておく必要がある。

とはいえ、理論は所詮人が作りしものなので、常に変化をし続ける生命の状態全てを網羅しているわけではなく、理論に合わない変化、状態もこれまた膨大に出てくる。
そういう理論に合わない変化に出会ったらどうするか??

こういうときは生命を持つものが持っている「勘」に委ねる。
なんとなく気になる、手が引かれる、つまり受け手の体が刺激を要求している処や部位を勘によって見つけていく。
また、理論を使って弾き出した処が、今、本当に刺激する必要があるのか??とか、どれだけの刺激を必要としているか??なども「勘」を利用して選別していく。

ただ、その勘の精度が悪いと意識が邪魔して上手く使えず間違えることが多くなってしまう。 なので術を行う人は勘の精度を常によくしておかなければならず、術を行う人は活元運動や行気法などの訓練がかかせない。
(指導する人の勘の能力が高い場合、術中、とても深いところまで入り込んでしまうことがある。 能力があまり高くないぼくでも数回ほど受け手の抱えているものが一気に流れ込んできたことがあるし、気の相性のよい人どうしだと同じ流れの中にいるような一体感が得られたりする。)

押さえ方の「」、理論以前の本能による「感覚」、そして膨大な「理論

この三つのどれもが一生かけて研究、修行しても本質にたどりつけるか分からない深みをもっているし、三つともが密接に絡み合って「整体」を作り上げているので、どれも疎かには出来なくなっている。

ちょっと学んだだけのセミナーで一人前の顔ができる技術が跋扈しているこの世界、なんともまぁ面倒くさいものに魅了されてしまったもんだと薫風を楽しみながら苦笑してしまった。

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「こんばんわ~」
夕方、日が落ちる頃に来るある患者さん。

仕事上の知人から近くにできたから、言ってみれば??
と紹介されての来院。

初めて来られた時は顔色が優れず眉間が緊張して鬱症状と軽いリウマチも出て不眠頭痛が続いている。
聞くととてもショックなことが重なり、どうしようもなくなってしまったとのこと。

体を観させてもらうと、骨盤は固まり捻れ頭が過緊張を起こし、「がん」に関係する反応点にも反応が出て、なんとかリウマチ症状でがん化を防いでいる

かなりガタガタで、どこから手をつければ良いのか分からない状態なので、とにかく一週間に一回に通ってくださることになった。

初診の数日後から、今度は友人の紹介で別の整体にも通いだしたのだけど、それでも掛け持ちで通い続けてくれたのは、ぼくの施術後は熟睡できているからと旦那さんが通うことを勧めてくれたのもある。

向こうには内緒でうちに来てくれていたらしく、
「すごく悪い状態なのに、びっくりするぐらい変化が早い!!」
と先生は驚いていたそうな。

あれから一年、二週間に一回の施術になった彼女は、頭痛もおさまって睡眠薬もほとんど飲まなくてよくなった

「また来るわー」
そういって、彼女はとても素敵な笑顔で帰っていく。

もちろんぼくだけの成果では無いのだけど、ぼくを信じてくださって症状が改善し 毎日を楽しんでおられる姿は、見ていてとても嬉しくなる
この笑顔が見れただけでも、ここで開業した甲斐があったなぁ幸せになった。

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阿倍野区松崎町にある当堂の近くにはあびこ筋を挟んで阿倍野区役所があり、5月の大型連休、普段はひっそりとしているこの界隈も、17日に行われる大阪都構想の住民投票に参加するよう呼びかける宣伝カーが走り周り例年よりも騒々しい。

祝祭日は予約が入れば朝から開けるのだが入っていない時は、取り敢えず昼から開けることにして、堂内の整理整頓や掃除に精を出している。

野口整体の創始者、野口晴哉師の師の一人であり、明治から大正、昭和にかけて活躍した霊術家、松本道別

その彼の著作である霊学講座を読むとその内容のかなり多くが野口整体の分派である調息整体にも引き継がれていることが分かる。ひょっとすると野口整体を独自に研究していく過程で、岡島先生が導入したものもあるかもしれない。

岡島瑞徳と野口晴哉、どちらが自分の体系に組み込んだのかは分からないが、逆に引き継がれなかったものに目を向けてみると、整体を実践するものとしてはちょっと面白かったりする。

その一つが、呼吸法の一つ「強息法」だ。

霊学講座には、

「専ら動物的活力を盛んにして体力を増進する呼吸法であるから、大いに腕力を強くして相撲、撃剣、柔道、その他競技運動に勇者たらんと欲する青年血気の人たちには適する。」

とあり、

忽ち元気回復して精神爽快頭脳明晰となり、またまた愉快に勉強を続けられ得る。毎日2~3回宛励行すれば、若い人ならば一週間、握力計10乃至15くらいは必ず進むことを多くの実験によって保証する。」

とも書かれている。

これだけ読むと「まあぁ、すごい!!」となるのだが、実は落とし穴があって、

エネルギーを消耗すること烈しく、身体の壊敗を迅速にするから、短時的強健法に止まり決して不老長寿の霊術ではない。」

とも書かれていて、ここらへんが先師が組み込まなかった理由なんだろうなぁ??と思うのだけれど、松本道別師は、

「併し短時的とはいえ、敢えて30歳や40歳で若死にする恐れがあるというものでもない。他の養生法も完く且宿命的寿命さえあれば、80歳位までの生命は保証されるから、所謂不死身金剛力を欲する人々は構わず断行すると良い。」

とも言っている。

(以下霊学講座より)
立式強息法
足を30度の角度に合わせて直立し、(着物は成るべく薄着か裸が良い)眼を2~3間先の目標に集注し、両手は両側に垂れたままで拇指を外にして固く握り、(握固は拇指を内にするを元則とすれど、予は力を入れるには外にする方が都合が良い。何れでも人々の便宣に従う。)

口を細く開けて息を強く深く吸い込むと共に、拇指で二本の指を握り潰す位に力を入れ、掌を上にして震えながら徐々と肘を折り曲げつつ、息を下腹部に一杯満たすと同時に、拳を鎖骨下部に着ける。

そうして頭から足の先まで全身に力を込めて息を堪えるだけ堪え、(体の踊りだすぐらい)最早堪えられぬに及んで、息を静かに鼻から呼出すると共に次第に力を緩めつつ拳を下げて元の姿勢に復えるのである。

斯うして一回を終われば、普通の呼吸を二三回して後、又前の如く繰り返すこと5回に及べば宜しい。(体術の握拳集力法と似たもの。)

臥式強息法
臥式強く息法を行うには、読書作文などして多少疲れた時など、そのまま机べりに仰臥して、両足を真っ直ぐに伸ばし、
第一、両手を握りしめて乳部に置き、口を細く開けて息を強く深く吸い込むと共にウンと力を込めて足を踏ん張り腹部の反り橋の如くなるまで緊張し、やがて息の堪え難きに及んで徐ろに元に複する
次で普通呼吸2、3回の後、
第二、握固の両腕を大腿部に着け、第一の如く強息する。
第三、握固の両腕を左右に開き、第一の如く強息する。
第四、握固の両腕を耳と平行に伸ばし、第一の如く強息する。
第五、握固の両腕を体と直角に上に伸ばし、第一の如く強息する。
(就褥の際に実行することも宜しい。)

(引用終わり)

寿命云々に関して言えば調息整体の観点からいうと「息を耐えて力を込めて、緊張し続ける。」ことを繰り返すのは、体の弾力を失いやすい
まぁ、その程度なら、例えば常用せずに試合の数日前体力の回復が必要なときなど工夫して行うのも手かなと思う。

とはいえ、松本道別師も実際のところ統計をとってきちんと検証したわけじゃないだろうから、ちょっと寿命が短くなっても腕力と握力が強化できれば良いという人はやってみると良い。